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【選手紹介】スパーズの後期王朝を支えたPG:トニー・パーカー

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フランスから来たヨーロッパ最高のPG

スパーズの王朝時代全体を支え、特に後期王朝時代をチームのエースとして支え続けたトニー・パーカー。輝かしいキャリアを築き上げた彼ですが、フランスからドラフトされてNBAに入った当初はここまでの選手になるとは思われていませんでした。スパーズには予想外のキャリアを送った選手が多く所属していましたが、パーカーの場合はどのようなものだったのでしょうか。今回はパーカーのキャリアについて紹介していきます。

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NBAドラフト~初のファイナルMVP

パーカーはフランスで15歳のころからプロとして活躍し、世界的にも実力のある選手として評価を受けていましたが、当時のNBAには白人の選手にはNBAで生き抜くためのフィジカルとタフネスがないという固定観念があり、彼が正当に評価をされることは多くありませんでした。

2001年のドラフトで全体28位指名でスパーズに指名を受けたパーカーは、大した期待をされていない状況で開幕から7試合をベンチからのプレーで過ごしましたが、8試合目からスターターとして定着し、9.2得点4.3アシストを平均しオールルーキー1stチームに選出されました。プレイオフでは2回戦で敗退しましたが、このプレイオフでの経験が翌年の活躍につながることになりました。

2年目のシーズンには82試合すべてスターターとして出場し、チームのエースだったダンカンに引っ張られ成長したパーカーは平均得点を15.5得点まで伸ばしました。プレイオフでもしっかり平均14得点と活躍したパーカーは早くも1つ目のリングを手に入れることになりました。

2003~2004シーズンには、ダンカンとツインタワーを組んでいたロビンソンが引退を表明し、チームは完全にダンカン、ジノビリ、パーカーの3人を中心としたチームに移行することになりました。パーカーはレギュラーシーズンには例年通りの活躍をしていましたが、プレーオフでは同じくシュートを苦手としていたスピーディ・クラクストンにプレータイムを奪われることになり、チームにスターターとして貢献する機会が減り、チームも2回戦でレイカーズ相手に敗退することになります。この経験はパーカーが個人の成功よりもチームの成功を優先するマインドセットに大きく影響することになります。

翌年、プレイオフで貢献できなかったことやチームに貢献するという意識が芽生えたパーカーのプレイにはチームとの調和を考えたものが多くなり、16.6得点6.2アシストを平均し、チームに勢いを与えるプレイヤーに成長することができました。プレイオフのNBAファイナルでは前年チャンピオンのピストンズのディフェンスに苦しめられ平均13.9得点と活躍の場が減りましたが、ジノビリの活躍もあり第7戦にもつれたシリーズを制し、2度目の優勝を達成しました。

2005~2006シーズン、パーカーは苦手としていたロングシュートを打たないことにし、スピードや身体能力を活かしたドライブからの得点を積極的に狙うようになりました。これによりパーカーのゴール付近の得点チャンスが増え、PGとしては異常なFG54.8%で18.9得点を平均するようになり、この変化が評価されオールスターに選出されました。パーカーの成長に後押しされチームは63勝19敗の成績を残しましたがプレイオフでは2回戦でマーベリックスに敗れました。

翌シーズン、安定して活躍し続けたパーカーに影響されたのかダンカンが調子を上げ始め、チームはプレイオフに進出してからも安定して勝利を重ねました。プレイオフファイナルでは、24.5得点5リバウンド3.3アシストを平均しチームはパーカーのおかげで優勝。個人として初のファイナルMVPを受賞しました。

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ファイナルMVP受賞後のケガ~2013年のリベンジ

2007~2008シーズン、パーカーはファイナルMVPらしく活躍していましたが、足のケガをしてしまい、それによって13試合を欠場してしまいました。しっかりケガを治して復帰してきましたが、ケガの影響と13試合欠場のブランクからか、マックスのパフォーマンスを発揮することはできずカンファレンス・ファイナルで1勝4敗でレイカーズに大敗しました。このシーズンからしばらくスパーズの優勝は遠ざかっていくことになりました。

翌年、開幕から3連敗というチーム史上最低の成績を記録したスパーズとパーカーでしたが、4試合目にパーカーが55得点10アシストを記録し、史上4人目の50得点10アシストを記録した選手になりましたが、チームの中心だったジノビリがケガの影響で44試合の出場に留まったり、プレイオフでは欠場したことによってチームは1回戦で敗退してしまいました。

2009~2010シーズン、パーカーはケガによって56試合の出場に留まり、チームもその影響で勝利数を50勝まで落とし、その間にジョージ・ヒルが活躍したことによってパーカーのトレードのうわさが出てきましたが、チームはパーカーがチームに勢いを与え、安定した試合運びをする彼の大切さを知っており、結局延長契約を結びました。

翌シーズン、パーカーは調子を取り戻し、FG55%までシュートを安定させることができましたが、プレイオフではチーム全体として流れを掴むことができなかったのかスパーズらしくないプレーを連発しチームは8位のグリズリーズにアップセットを起こされまさかの1回戦敗退という屈辱を味わいました。

2011〜2012シーズン、パーカーは18.3得点7.2アシストを平均し2009年以来のオールスターに選出されました。チームも勢いづき50勝16敗のリーグ最高勝率を記録し、プレイオフに進出しました。カンファレンス・ファイナルまで強さを見せつけ駆け上がり、サンダー相手に先に2勝を取りましたがここから若い才能が大躍進したことによりスパーズは4連敗し、シリーズをひっくり返され5年ぶりのファイナル進出のチャンスを逃すことになりました。

翌シーズン、大ベテランのダンカンがオールNBA1stチームとオールディフェンシブ2ndチームに選出され、パーカーもオールスターは逃しましたがアシストと得点ともに前年を上回る平均スタッツを残し、スパーズはついにファイナルに進出しました。ファイナルでパーカーはゲームウィニングショットを決めるなど活躍しましたが、ダンカンが珍しく勝負強さを発揮できず大切なシュートを落としてしまったことでアレンの伝説の同点3PTを許してしまい、チームはまたしてもプレイオフで逆転敗北する形になりました。

翌2013~2014シーズン、チームは2年連続で逆転負けを許した悔しさを胸に練習と試合に取り組みました。パーカーの成績は落ちましたが、チームが完全に一体になっていたこの年、スパーズは圧倒的なチーム力でシーズン51勝17敗の記録でプレイオフに進出しました。カンファレンス・ファイナルではパーカの活躍のおかげでリベンジを果たし、ファイナルでは前年、悔しい負け方をしたヒート相手に油断しない徹底ぶりで終始圧倒して優勝を決めました。

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王朝時代の終わり~新しいキャリア

翌シーズン、アキレス腱を負傷し、復帰したパーカーですが、明らかにパフォーマンスが落ちており、高齢化が深刻になっていたチームは勢いを失いプレイオフ1回戦でグリズリーズに3勝4敗で敗れました。

2015~2016シーズン、このシーズン限りでダンカンは引退を表明していましたが、カワイが中心として成長し、ラマーカス・オルドリッジを獲得したことでチームは前年よりも強くなっていました。しかしプレイオフでは成長著しい若手のウェストブルックやデュラント擁するサンダーに2勝4敗で敗れ、2回戦でプレイオフ敗退になりました。

ここからパーカーはケガやチームの若返りによって控えプレーヤーとしてプレーすることが増え、チームにまだ1番手のPGとして貢献できると伝え、パーカーは2018~2019シーズンにシャーロット・ホーネッツに移籍しましたが、キャリア初めての優勝に程遠いチームでプレーすることに意味を見いさせなくなったパーカーはオフに引退しました。

パーカーは引退後地元フランスのアスヴェル・バスケットの球団社長に就任し、新しいキャリアを歩んでいます。

まとめ

いかがだったでしょうか。パーカーはNBAで小柄な選手ながら外からのシュートを苦手とする選手としてインサイドを主戦場とする珍しい選手でした。しかし、彼の必殺技でもあったスピンムーブとティアドロップをうまく使いパーカーは1時期MVP投票で6位に入るほどの選手として活躍しました。現在は地元チームに自身の経験を使って貢献している彼ですが、いつかまた何かしらのNBAの舞台で彼が見れることを楽しみにしています。

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